それはもしかしたら苦い思い出かもしれないし、サプライズをしかけられた時の記憶かもしれない。
そんな脳裏に焼き付いて離れない記憶が最近また1つ増えた。週の月曜日に起きた出来事。それはあるクラスの1つのペーパーが終わった後の時間と気持ちだ。
このクラスは名目上はPolitical Science のクラスだったが、先生が社会学、Criminal Justice の先生だったため、ちょっと変わったクラスになった。
学期の始めに、1つの ローカルのNPO団体に所属し、学期末までに計30時間のボランティア活動に従事し、かつその組織の関係者3人に別々で30分のインタビューをすることが課題として出された。実際にぼくは市役所のPark Department, park division の担当者にインタビューもし、なんだかとてもofficial な個人活動を初めてした。理由はそのNPO に所属し、主観的な自分の体験もデータとして回収してペーパーを提出するQualitative Research だったからだ。
つまり、ちょっとしたスパイ的な課題だ。
潜入し、ただメンバーとして活動するのではなく、その組織を政治的•社会的に研究するための人間として活動するというとても面白い課題だった。
これぞアメリカの大学らしい課題だ。以前に社会学のクラスを1つだけ取ったことがある。冬に取ったアメリカの“ギャング”のクラスだ。その時に読んだ " Gang Leader For A Day" という本でも、主人公の大学生がギャングに単身乗り込んでリサーチをすすめるという実際の話だ。そしてこの課題はかなり難しいものだとよく分かっていた。
実際に全てのデータ回収と分析後の Final Paper は“最低20ページ、最大の限度なし”というべらぼうな“大物”だった。それまでのぼくの最長は11ページ。まったくの未知の世界だ。シラバスを初めて読んだ時に Overwhelmed したのをよく覚えてる。けど一度も長いペーパーをやったことがなかった自分は不安ながらもとても喜びながら家に帰ったのだ。
やってみないと分からないことが世の中いくつも転がってる。よく語られる社会問題も、その問題の中に入ってみないと本当に理解することはできないんだろうなと活動を通して思った。実地の現実的な感覚を持っている。それって何かを語る時に一番大切なことの1つじゃないだろうか?
4ヶ月間の活動を終了し、今週の月曜日にペーパーが終わった。全部で61ページになった。打ち込んだ。やり切った。その日の授業はただペーパーを提出して終わり。ファイナルはない。この4ヶ月の活動とペーパーがファイナルそのものだったから。
一人一人がマイコゥル(先生)にペーパーを出していく。"Congratulations!" 一人一人が固い握手を交わすのだ。美しい光景だ。本当に美しい。大学じゃないか。そこには言い尽くせぬ歓喜がある。本物の教育がある。人と人との深い触発がある。こういった感動的な瞬間に出会えたこと、それを“感動”と呼べたこと、それは人生における大いなる肯定であるはずだ。
自分の番になって、“おめでとう! マサ、君には2つの意味でだな!プロジェクトを終えたこと、そして第2言語として英語を学ぶ君がそれを乗り越えたということでだ!”
ぼくは、自分の褒められるべきことを褒めてくれてる時の彼の喜んでだ顔を見ると、どうしてもはにかんで照れながら下を向いてしまった。けどぼくは熱く握手を交わした。情熱ってのは見えないんだよ。見えないとこで熱く光ってるんだよ。
建物の外に出た。夜だ。空気が田舎らしい冷たさで街全体を包んでいる。その中でぼくはその空気にあらがうわけでもなく、なんだか一体になるようにてくてくと歩いた。終わったんだなぁ。と思うと歓喜が湧き上がってくる。けど、それは沸点を超えることはできなかった。あれだけ打ち込んだ1つの出来事がすでに思い出になり始めていた。寂しさがふたとなって、こみあげる歓喜を吹き出さないように。
そんな夜の帰り道。“忘れられない瞬間”に選んだ曲は、 Roy Hargrove, Strasbourg St Denis 。
お疲れさん。また渋い良い曲を選択したな。
返信削除お!聞いてくれたー? 思い出の曲を作るっていいよね。
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