聞き飽きた。と思うかもしれないけど、まぁ聞いてくれよ。
おれは人類のために発動される芸術の大きな可能性を信じてる。
おれは国際関係学部の人間らしい。それが社会が貼りたがるおれへのレッテルの1つだよ。だがそんなことはどうでもいい。
今、いや今日を生きて何が起き、何を起こし、おれの中で何が変わり、それを変えたものが何だったのか、明日はどうなるのか、このそれぞれの刺激が“おれ”という一つの成体が感じ、他人の人生、社会、国の運命を変えていくものだ。
その条件の下、おととい起きたことは強烈におれの生命に焼き付いた。
" I was disappointed at this painting. "
おれはクラスの前の廊下で、J と1対1でこう言われた。そばには自分の作品がある。
その作品は全く完成できず、キャンパスの白生地がむき出しになったままの中途半端な油絵。仕方がない、とそのままで提出をした作品。Model UN が佳境に入っていた時の作品だ。
" Yeah, I know ... "
おれはうつむくことしかできなかった。
“ ••• 残念だが、他の生徒もこんなかんじだ。だけど、休暇は落ち着くための時間にしてはダメだ。動き続けるんだ。”
と彼は加えて言った。
RateMyProfessor を見ると、ある生徒が彼のことをこう批判している。
" (He) acts as if this is the only class his students are taking. He does not give clear directions for projects. He never has anything positive to say about anyone's artwork. Very stressful class."
ここでこの生徒の批判をしてもくだらない。曲がりなりともこの J の人物像が何を示しているのか?
それは彼の一つのクラスにおける1人1人への勝負感だ。そして一回性だ。彼は本気なんだ。決して中途半端なことはできない。
言いたいことを言い、やることをやる。これだよ。彼が明確な指示を生徒に与えないのは生徒の自発性と自由意志を促すためなんだ。それは懐の深い見えない思いやりだ。本当に生徒を愛している。芸術を愛してる。人間を大切にするやつに悪いやつなんているもんか!
だからおとといの出来事はおれの人生にとって最高の出来事だったね。
あの5時頃の廊下の温かい光やしーんと静まり返った中で聞こえた J の声、自分を包んでいた全ての質感。きっと全部抱えながらおれは死ぬんだよ。
今日は美術のクラスはないけど、枯れ葉を踏みながらてくてくとスタジオに向かった。よぉおっし、こっから勝負だな!って情熱。
そしたら J と廊下で偶然会ったんだよ。
" Yo! Are you painting? Hooo!!! "
" Yeeey ! "
これが今日っていう1日なんだ。これが MASA ってやつが生きてる実感なんだ。血の湧く生への歓喜。
“この大学に来て一番学んだことは何ですか?” って聞かれたら誇らしげにおれはこう言うね。
“それは、素晴らしい出会いがあったことなんです!”
>
“アメリカに来て一番学んだことは何ですか?” って聞かれたら誇らしげにおれはこう言うね。
返信削除"それは、酷い詐欺の数々に出会ったことなんです!"
このコメント、できれば削除してあげたい。
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