ホームレスを見ることに常に引け目を感じる。
楽しいことがあっても、帰宅前に彼らを見ると一瞬でその幸福も遠のいていく。
他人が友達と幸せそうにホームレスの隣を過ぎていく時、彼女たちの身なりが豪華なとき、憤りやこの町に生きる虚しさを感じる。同時に、自分もその“他人“側に身を置いていることに恥じらいというか、身を切られるような痛み、それでいてその感覚がもやに包まれるのに気づいてる。
“無感覚な人間だけが幸福でいられるんだ“という岡本太郎の言葉を思い出す。たとえこの言葉が部分的に限定された定義であっても。
“幸福“と不幸が交差する紐が目にはっきりと見える町、サンフランシスコ。国、アメリカ。とはいえ、ホームレスに国境はない。
自分ももしかしたら、ホームレスになるかもしれない。先行きの見えない23歳の青年は、死と隣合わせでいるような感覚に恐怖を感じていると共に、妙な親近感とも言えるものをこの町で感じている。
昨日、父親の誕生日でメールした。返事はすぐに帰ってきた。『ありがとう もう52歳だよ あっという間に死んじゃうから早く一人前になってくれないと困るよ〜』
おれがこの世界に残せる価値は一体何なのか。それが今やるべき正しいことだと自分に言い聞かせながら続けて勉強する。偶有性にいつも不安を抱きながら信じる、ただおれは今生きているということだけだ。
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