“知性/合理的知性”は人間活動の上で外界、内界で起こる認識を体系づける領域だ。これに対しもう一方の領域である“精神”は価値をより高めようとする直観、内的精神の止むに止まれぬ純粋な欲求であり、それは宇宙の成体における生命力の表れではないかと思う。
しかも言語的には二極化されたこの2つの領域も実体においては互いに脈動し合い、両方の価値が最大に発揮されるところに最も創造的であり、“宇宙の進歩”(ルネ•ユイグ)に寄与することなのだと信じる。
現代人は客観性に基づく合理的知性に身を任せて物質主義の横行を招き、精神を劣勢化する時代を作ってしまった。心が洋服に追いついていない。だから自分は知性を絶対視することはない。知性は精神に対し、補佐的な役割を演じる。主観的な精神、人間としての感受性を再生する芸術が最も希求されるべき時代は人類史において現代以外にないのでは?
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